●「おきぐすり」の発祥
富山十万石の二代目藩主・前田正甫は、質実剛健を尊び自らも、くすりの調合を行うという名君でした。元禄3年(1690年)正甫公が参勤で江戸城に登城したおり、福島の岩代三春城主・秋田河内守が腹痛を起こし、苦しむのを見て、印籠から「反魂丹」を取り出して飲ませたところ、たちまち平癒しました。
この光景を目の当たりにした諸国の藩主たちは、その薬効に驚き、各自の領内で「反魂丹」を売り広めてくれるよう正甫公に頼みました。
この事件が「おきぐすり」(配置販売業)の発祥とされています。
正甫公は、領地から出て全国どこででも商売ができる「他領商売勝手」を発布。同時に富山城下の薬種商・松井屋源右衛門にくすりを調製させ、八重崎屋源六に依頼して諸国を行商させました。
源六は、「用を先に利を後にせよ」という正甫公の精神に従い、良家の子弟の中から身体強健、品行方正な者を選び、各地の大庄屋を巡ってくすりを配置させました。そして、毎年周期的に巡回して未使用の残品を引き取り、新品と置き換え、服用した薬に対してのみ謝礼金を受け取ることにしました。
こうして、現在のクレジットとリース制を一緒にしたような「先用後利」の画期的な販売システムが登場したのです。
ちなみに、「反魂丹」は備前の医師・万代常閑の先祖が、堺浦に漂着した唐人からその秘法を授かって作ったもので、正甫公自身が腹痛を起こした時に服用して平癒したという妙薬。正甫公は「人の病患を救う妙薬を秘しておくことは惜しい」と、天和3年(1683年)
に常閑を招いてその処方の伝授を受けたとされています。